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この記事は、かつて北海道斜里町を走行していた国鉄根北線の廃線跡めぐりをしたときの様子です。
国鉄根北線は北海道斜里町の斜里駅(現:知床斜里駅)から南東方向へ進み同町の越川駅までを結んでいた路線です。
1957年開業、1970年に廃線となった根北線ですが、当初は「根室」から「北見」を結ぶ路線ということで「根北線」という名称でした。
今回はそんな根北線の遺構として有名な「越川橋梁」を見に、折りたたみ自転車で根北線の廃線・廃駅巡りをしたときの様子を簡単に紹介します。
知床斜里駅からスタート
国鉄根北線の始点だった斜里駅(現:知床斜里駅)からスタート。
現在の知床斜里駅は2007年に改修工事が行われた駅舎となっており、駅構内には当時の面影を残すものは感じられませんでした。
知床斜里駅から北へ走行、「斜里町民公園」にやってきました。
公園内には9600型蒸気機関車が展示されていました。この車両は大正11年に本州を走った後、晩年は国鉄広尾線の貨物輸送を担っていたみたいです。
この公園を訪れた本当の目的は、公園に隣接した「斜里町立知床博物館」で根北線の情報収集でした。
一番最後に紹介しますが、館内には根北線の実物資料があり、見ごたえがありました。
以久科駅跡
知床斜里駅からおよそ5km、国道244号線をひたすら走って以久科(いくしな)駅跡と思われる場所に到着。
廃線巡りの先輩方のサイト同様、当時以久科駅があった場所は農地となっており、全くその気配を感じることはできませんでした。
どうやらWikipediaによると、1998年まではこの場所に駅舎等が残っていたみたいです。私が生まれる一年前にすでに無くなっていたとは…。
越川駅跡
以久科駅からさらに自転車を走らせること約10km、越川(こしかわ)駅跡と思われる場所に到着。
様々な情報をもとにすると、当時はこのちょうど目の前に駅があったらしいです。
しかし2021年現在、越川駅と思われる場所は農地(荒地)となっており、本当にここに駅があったのか、そもそも鉄道路線が敷かれていたのかすら分からない状態でした。
ただ現在がどうであれ、当時はここに確かに鉄道路線が敷かれていたと考えると非常に感慨深いものでした。
この越川駅を境に、標津方面へは実際に鉄路が敷かれることのない未成線となったまま廃線を迎えてしまいました。
ちなみに、以久科駅と越川駅の間には「下越川駅」という駅があったようですが、そこまで至る道路が砂利道だったので諦めました。
越川橋梁
越川駅からさらに先、500mくらい進んだところに今回のサイクリングの目的である越川橋梁(正式名称:第一幾品川橋梁)に到着。
この越川橋梁は、先ほどまで辿ってきた根北線の未成線区間に建設された橋梁です。1998年に国の登録有形文化財に指定されました。
昭和14年に着工完成し、実際に鉄路が敷かれることのないまま昭和45年に根北線は廃線を迎え、以来この場所に保存されています。
現在は橋梁を横切るように国道244号線が敷かれており、この国道244号線の拡幅工事にあたって、国道と横切る部分の橋脚2本は撤去されたようです。
それにしても、越川橋梁の着工完成は昭和14年、そしてその約20年後の昭和32年に斜里~越川間開業、昭和45年に廃線ということを考えると、越川橋梁に列車が走る景色を見てみたかったという思いがますます募ります。
またこの越川橋梁は、昭和初期まで北海道で行われていたタコ部屋労働によって建設されたという話もあるようです。
越川温泉
越川橋梁を見物していたら、車で観光地を巡っている方から「この先に越川温泉ってのがあるみたいだよ」というお話をいただいたので、ちょっとだけ寄ってみました。
越川橋梁のすぐ近くにあり、国道244号線から少し脇道に入ったところにそれはありました。
私が訪問したとき(2021夏)はコロナの影響で、会員(おそらく町内会などで募集してるのかな?)以外は利用しないでくださいという張り紙がありました。
このときは誰もいませんでしたが、どうやら知る人ぞ知る名湯といった場所みたいです。
斜里町立知床博物館に根北線の展示があります
さて、知床斜里駅を出発して最初に「斜里町立知床博物館」へ行ったのですが、ここには根北線の資料が展示されておりました。
なんと越川駅の駅名標(実物みたいです)がありました。
さらには根北線時代のサポ(行先表示板)までありました。
博物館を訪れた際に受付の方に、
根北線の資料って展示されてたりしますか?
と訊いたところ
ありますよ~。学生?根北線の展示だったら有料エリアの出口近くにあるから、ちょっとなら無料で見てっていいよ~。
と言われたのを覚えてますw。ちなみに撮影許可もいただけました。
斜里町立知床博物館
営業時間:09:00~17:00
入館料:¥300(高校生以上)